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文字は長い年月と多くの人々によって受け継がれてきた慣例的なひとつの意味合いをもつ記号と解して良いでしょう。慣例とはしきたりで、ひとつの例として漢字の熟語で例えますと 『 豆腐と納豆 』があげられます。豆を腐らしたのが『豆腐』というのはおかしいとか、豆を納めたのが『納豆』というのと反対ではないのか、と言ってもはじまらず古来から決まっている事で詮索の余地はありません。『豆腐』の『腐』は『やわらかい』意ということらしいですが、漢字の形も同様で文字の形は標準的な形がありながらも 『多様』で『あいまい』な部分が多くあり、抽象的で『これが正しい』とか『これは間違っている』と言い切れるものは少なくありません。しかし、書きやすくするため自分勝手に簡略化した形などというものはもはや文字といえる存在ではありません。
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古典に寄らざるを得ない文字の特殊性 |
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この『多様』な 文字の形とその変形等は文字としての枠をはみ出さない限りに於いて書き手の自由ですが、一個人がどれ程考え抜いても文字という性質上その創作には限界があります。自分流だけで創作していきますと文字としての体をなし得ない場合があり、奇抜なものになり勝ちで深みのある作にはなりません。 したがって、多くの古人が書き残した姿とその許容例に準じて自分流に書いていくのが適切な方法と考えられます。
古典の偉大さについては、書の歴史の中で膨大な書蹟の中から鑑賞に堪えうるものとして選ばれ残されてきたもので、それぞれが独自性をもっている点にあります。一方、各時代に於いて一世を風靡した流行書家の書でも50年〜100年後には殆ど書の歴史から消え去ってしまうものです。古典の良さは、例えば10年前にすばらしいと思っていたものが、現在観てみると更に高度な部分に注意をはらっている部分が見え、観る人の能力に応じてその良さが理解出来る点などが上げられます。
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抽象的な文字を素材とした、『 書 』 という特殊な芸術 |
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上記のように『書』は漢字かな共に抽象的な文字を素材としていますが『読める文字』
或いは『文字を書く』という点に於いて他の芸術と異なり自由に抽象化することが出来ない特殊な芸術になります。
『文字』である、という『制約』の中での創作になり、そのような中で『文字である』という『文字性』を重んじた作品づくりをする書家を日展を中心とした伝統派になりますが反対に『文字性』を無視し前衛的な作品を書いている方々も居られます。また、逆に前衛的に見えても現在人の多くが読めないだけで伝統に基づいた『文字性』のある作品を書いているという方々も居られます。
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『 書 』に限らず、『 文字 』 として大切な事柄 |
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書は人なり、という事は一概に言えませんが、書き手の一瞬々の命が線に表れ、その心境を映し出す鑑のような存在であることは否めません。また、書は目に見えない精神的な心境を自然に吐露することになり、あまり意の凝らしたものよりも真摯な態度で書かれたものが好ましくそれが観る人の共感を得る事にもなります。
文字を創作する立場から、造形的にいびつな面白さを出すことがありますが、興味本位で弄ぶようなところがありますとその意が目立ち、良い作になる可能性はあまりありません。文字に対する畏敬と真摯な態度が大切になります。書き手のひたむきさといいますか一生懸命に一途な気持ちで書き、結果的にその歪んだ造形が好感をもって面白いと感じられるものになっているのは古代の書を見ても明らかです。書き手自身の特徴などでも自然に表れてくるもので、強いて出そうとしますとその作意がどこかに反映され何かしらの不自然さが表れてしまいます。
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デザイン的な書との違い |
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広告等で文字をデザイン化した書には良いと思われる作品もあります。しかし、書というものは書き手があまり趣向をこらさず自然にそのまま書いた姿という『平淡』で『自然さ』を尊ぶところがあり『無心』で書いたものに良い作が出来ます。『無心』 などというものはなろうと思ってなれるものではありませんが、例えば、作品づくりで色々と考えて書けば書く程その意が勝って自然さが失われ良くない場合があります。そのような中で疲れ果ててうたた寝 した後に何も考えず書き上げた1〜2枚が良かったり します。
このように書作の際は、色々と創意工夫をしていきますがその意が過ぎると『自然さ』と全体の印象としての『韻』が失われてしまいます。したがって、デザイン的な書にも色々なパターンがありますが、あまり趣向の過ぎたものや策を弄し色々と文字を意匠化したものなどは長年の鑑賞に堪えられる作品は少ないようです。当HPでお送りする書のサインとデザイン書との違いは長年に渡り私自身が古典を学んできたそのままの姿で、変化させながらも文字としての枠をはみ出さない『自然』で
いくら崩していても『読める書』という事になるでしょうか。
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『 伝統 』 の中で 『 創意工夫 』 |
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サイン創作に限らず書作の際、点画の接点や形などで途中で迷ったときは古人の書を調べ同
じような造形がありますと安心しそれにそい自分流に書いています。また、同様に各文字の変形は多くの古人が書き残したもの、古来から受け継がれて来た文字造形やその字形の取り方に準じて工夫し全体の調和をはかるように努めています。
古人の書をそっくりまねるという事ではなく参考にしながら伝統に基づき 『文字性を重んじた』私なりの文字構成ということになります。サイン創作の際、書きやすいように『文字性』を無視 して簡略化した読めないサインをお送りする事はありません。
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どのようなサインになるか |
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したがって、サインの創作はどのようにくずして書いても文字学的に読めないサインをお送りする事はなく、大きく変形された文字も同様で古典にある文字に準じた無理のない形でその限界をわきまえ、その中で出来るだけ文字の大小をつけたメリハリある書き易いサインになります。
文字という制約の中で創作していくもので、文字の点画の接し方やその長短なども数多くの古典と照らし合わせた場合、この程度であれば文字として通用するという歴史的に認証された文字形体になります。例えば崩
した文字で一般的に読みづらい形であっても専門家が文字学的に見た場合『読める文字』であるという事を重視しその上で『品位』ある創作を心がけています。
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